Remains Aki Miyajima

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市政会館(日比谷公会堂)
 市政会館
帝都ゴシック建築の代表作。
佐藤功一氏設計、昭和4年築(1929)。
重厚な赤茶色と直線美に圧倒されます。

1922年に東京市長であった後藤新平氏が
東京市政調査会を創立、後藤氏に共感した
安田善次郎氏の巨額の寄付によって施工。

後藤新平氏は帝都を学ぶ上で外せない偉人。
関東大震災後の帝都復興院総裁として有名ですが
数々の伝記を読むと偉業はそれだけでなく
多くの斬新な発案とその実行力に敬服します。

帝都探求は、建築様式や素材だけでなく、
当時の政治や風俗なども知る事で
まだまだ興味が広がっていきそうです。
| aki-remains | 20:56 | 帝都リメインズ |
鏡が池
 鏡が池DM
個展のDMができました。
DMに使った作品は帝都とは別の新作で
タイトルは「鏡が池」です。
夏目漱石の草枕に出てくる鏡が池に
私自身の世界をシンクロさせています。
長年飼育している蝸牛や、お気に入りの
猿、鳥、栗鼠、蛾、蚕・・・私の鏡が池。

熊本県小天にある草枕の里を訪れた際に
モデルになったという鏡が池を見てきました。
それは民家の庭にある普通の池でした。
ですが、池の隣の老舗旅館に宿泊した夜、
しんしんとした静寂の深い闇を体験しました。
現代の東京ではなかなか体験できない感覚。
昔の作家たちはこの暗闇があったからこそ、
幻影を見たり、自己を闇に映せたのだと思いました。

私の作品は物語に自分を投影させることが多く、
第二次大戦以前の作家の小説を好んで読みます。

いつのまにか帝都探求に熱中しているのは
同じ理由なのだと思います。

| aki-remains | 01:54 | 帝都リメインズ |
私と東京
 三ノ輪アパート
私は昭和47年(1972)台東区三ノ輪生まれ。
今はもうない、4歳まで住んでいたアパート。

日中はすぐ近所の母の実家の下駄屋で過ごし、
家族で夕食後、銭湯に行ってアパートに帰る毎日。
祖母や父が毎晩散歩に連れて行ってくれたそうで、
ぼんやり記憶しているのは、暗い夜道と
なぜか、ガード下のプロレス興行ポスター。

にんべん屋
お祭りにきた従兄弟と兄と下駄屋の前で。
この一ヶ月後に祖母は天国に逝きました。
母は一人で残った下駄を売り続け、
店じまいした後は1年だけ足立区で暮らし、
5歳で父の転勤で名古屋に引っ越し、
「すごい都会に来た!」とカルチャーショック。
それだけ当時の三ノ輪は古い下町で
それが私の知っている東京でした。

東京に戻ってきたのは23歳、以後ずっと足立区。
銀座や新宿の新しい建物にはあまり東京を感じませんが、
古い建物に出会うと、東京にいる事を実感します。
| aki-remains | 01:59 | 帝都リメインズ |
神田の鳥獣たち
 丸石ビル
神田の丸石ビルディング(旧大洋ビル)、
昭和6年(1931)築。
鳥獣レリーフや半円アーチはロマネスク様式で
私の描く絵にもちょっと似ています。
ここの栗鼠と梟はとってもかわいいです。
謎の人面と門番役のライオンも魅力的。
訪れる人が物語を想像できる建物は素敵です。

昔はオフィス街に数多く棲んでいた鳥獣たちも
どんどん取り壊されて、稀少になってきました。

このビルを設計した山下寿郎氏は
後に日本初の超高層ビルといわれている
霞が関ビルディングの設計も担当しています。
| aki-remains | 22:39 | 帝都リメインズ |
亀太郎の勲記
勲記
父方の歴史の続き。

紋兵衛澄英の長男、曾祖父の亀太郎は
日露戦争で馬を死なせずに運んだという功績?!で
明治39年に白色桐葉章(勲八等)を受章。
勲記には天皇の事がまだ日本國皇帝と記されています。
でもその後は放蕩の亀ちゃんと呼ばれていたとか?

亀太郎の長男、祖父は対照的に真面目で堅実。
蚕は継がずに警察官となり、戦中は近衛でした。
こちらは勤続の功労で瑞寳章(勲七等)を受章。

八王子の家は、祖父母亡き後も
長年リメインズされたままでしたが、
ついに今月、解体されました。
取り壊し寸前に祖父たちの名誉の勲記を救出。
古い家を壊すのも、維持するのも、
現代の東京では難しい事を学びました。

| aki-remains | 02:12 | 帝都リメインズ |
お蚕さんの先生
 紋兵衛澄英
私の父は昭和16年生まれ、真珠湾攻撃と同じ年。
父の実家は八王子にありました。

父方の家系図は江戸時代まで残っています。
解読すると曾曾祖父の紋兵衛澄英が
明治35年(1902)に桑都であった八王子に移住。
お蚕さんの先生と呼ばれ、お抱えの人力車に乗って
養蚕農家を回って新式を指導していたそう。
発明家としても地元で有名だったとか。
写真の紋兵衛は白髭でいかにも奇天烈博士。

かつて養蚕は日本を支えた産業。
世界恐慌や震災、戦争などの影響で
徐々に衰退していきました。
蚕の家畜ゆえの特異な生態は崇高です。
私のモスモス好きは紋兵衛DNA?
| aki-remains | 14:31 | 帝都リメインズ |
帝国ホテル中央玄関
 帝国ホテル
愛知県犬山市の明治村を見学。
学生時代に何度も訪れたここも、年月は流れ、
施設全域に漂うリメインズ感はセンチメンタル。
ここにはフランク・ロイド・ライト氏設計の
帝国ホテル中央玄関が移築されています。
幾何学の柱で組まれた開放的な空間が素敵。
スクラッチタイルの使用は日本初らしいです。

ライト氏設計の帝国ホテルは大正12年に完成。
完成披露式の9月1日に、関東大震災が起きました。
周りの建物が倒壊延焼する中、ホテルの損傷は少なく、
翌日から被災大使館や会社に客室を提供したそう。

なぜホテルは倒壊しなかったのか?
フローティングという浮力でバランスをとる工法の一種で
ホテルは水に浮かぶボートと同じ状態だったのではないかと
建築家のU氏が教えてくれました。
他にも様々な説があるようです。
| aki-remains | 19:54 | 帝都リメインズ |
鶴の噴水
 鶴の噴水
帝都と聞いて真っ先に連想したのが
久生十蘭氏の小説「魔都」。
1934年大晦日にはじまる、帝都一昼夜ミステリー。
日比谷公園の鶴の噴水が歌を唄う?!
ファンタスティックな謎。

日比谷公園の雲形池に設置されている
「鶴の噴水」は案内看板によると
明治38年頃に津田信夫、岡崎雪声両氏に依頼製作、
公園装飾用噴水としては日本で3番目に古いとのこと。

「魔都」が書かれたのは1937〜1938年、
震災復興後で第二次大戦前の帝都近代成長期。
魔都の複雑な時間軸の中で、いつのまにか
私も夢中で帝都を駆け巡っていました。
帝都の空気を感じる事のできる都市幻想小説です。
| aki-remains | 11:37 | 帝都リメインズ |
浄閑寺の桜
 浄閑寺の桜
母方先祖のお墓のある三ノ輪の浄閑寺。
戦前に祖父がお墓の隣に植えた八重桜。

浄閑寺には震災や戦災などで亡くなった
吉原遊女が葬られていて、
投げ込み寺とも呼ばれています。

母の実家はお寺のすぐ前にありました。
昔はお墓でお花見をし、ここは絶好の遊び場だったとか。
東京大空襲(昭和20年3月10日)の夜、
母はお墓でトタンをかぶって避難していたそう。

祖父の桜は今年も美しく開花しました。
桜と言えば1912年にワシントンのポトマック河畔に
足立の五色桜が植樹されてから今年で100年。
建物が新旧交代して景色が変わっていっても、
桜は今と昔を繋いでいます。
| aki-remains | 19:02 | 帝都リメインズ |
慰霊堂・復興記念館
復興記念館 
両国の横網町公園内にある
東京都慰霊堂(昭和5年築)と復興記念館(昭和6年築)。
関東大震災と東京大空襲などによる戦災で亡くなられた
16万人余の御遺骨が安置されています。
帝都探求をはじめるにあたって
まずここで手を合わせたいと思い参拝。

慰霊堂と記念館は伊東忠太氏の設計。
記念館の柱上には4体の幻獣。吠えてます。
慰霊堂の照明も幻獣が御霊を抱え込むデザイン。
幻獣は無念の魂を鎮めるためなのでしょうか。

記念館には震災と戦災遺品などが展示されています。
中でも絵画室に掛けられたいくつもの油絵は
写真以上に惨状が伝わり胸にずっしり響きます。
絵画の持つ力を感じ、姿勢が正されました。
| aki-remains | 21:05 | 帝都リメインズ |